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東経もあゆみ

 

東京経済は、昭和36年3月に資本金50万円と数名の社員でスタートし平成22年で50周年を迎えることとなりました。現在に至るまで紆余曲折した時期もありましたが、私ども調査機関に対して皆様のご理解とご支援を賜り、現在では資本金9900万円。事業所も、北は仙台から南は沖縄まで30事業所となりました。

会社の社是でもある『経営は心』

経営をしていれば、景気によって経営が「ぶれる」ことがあります。売り上げの変動で、縦にぶれることは仕方のないことだと思いますが、問題は何があっても横にぶれないことだと思います。

利益を上げるための偽装やごまかしは社会から締め出されます。
「人間としてどうあるべきか? 経営者としてどうあるべきか?」
時代の急速な流れとともに「しぼんでいく企業」と「膨らんでいく企業」とが一層明白になってくるものと思います。

全国には創業100年を超える企業が2万1000社あるといわれています。
50年はまだまだ半分の歳です。
50年を機に新たな気持ちで、皆様のお役に立てることは何かを常に考え実行していくつもりでおります。今後ともご支援いただきますよう、宜しくお願いいたします。

越智英雄
 

【創業期】

梅の香りが漂う早春の小倉砂津にて創業者故越智重雄が株式会社東京経済興信所を設立したのが1961年(昭和36年)3月24日。資本金50万円、現本社所在地には西鉄の元購買部の敷地に木造平屋建ての事務所があった。その事務所を間借りしての開業である。机一つに電話が一台。「金もない、人もいない、あったのは熱く燃えたぎる情熱だけであった。お客様の接待でお酒を飲んだ後も会社に帰りガリ版を切っていた。お金がなくてもその頃が一番楽しかっ た」 当時を振り返りながら常々語っていた。創業の翌年には東経速報(現東経情報)を創刊。企業信用調査をしながら倒産速報をガリ版刷りで出版していたのだ。 東京経済が急激に業容拡大する出来事が創業の翌年から始まった。八幡製鉄(現新日本製鐵)のお膝元、小倉、八幡、戸畑、若松で巻き起こった融通手形旋風だ。鉄鋼関連、建設関連の中小零細企業が資金繰りに窮し融通手形を乱発、倒産の嵐が吹き荒れていた。この融通手形旋風が創業まもない東京経済にとって「福の神」になった。商社からの調査は急増。電話は鳴りっぱなしの状態。「次に倒産するのは東経さん、どこか?」 手形流通の相関図をガリ版で刷り、それが飛ぶように売れた。創業間もない会社がやっと一息つけたのである。

【飛躍】

社員も徐々に増えた。と言っても大陸から引き揚げてきた憲兵上がりなど、それは、それは男臭さが抜けない猛者連中が大半。彼らに取材の仕方、調査報告書の書き方など、寝る間も惜しんで指導したのだった。そんなある日、ある若手社員は東経速報の販売に苦戦していた。「お客さんは倒産してからの記事ではなく、これから倒産する会社の予知情報を出してくれと要望しています。社長、倒産予知だけの速報を作ってください。それなら売れます」 余りにもしつこく迫る社員にとうとう腰をあげた。 初版が刷りあがった。その倒産予知情報が現在の「特別情報」の誕生の瞬間である。この「特別情報」が東京経済破竹の進撃の起爆剤になるとは当時知る由もない。ガリ版刷りの「特別情報」を最初に持ち込んだのが三井物産、そこで契約を取ると大手商社が次々と契約した。地場商社、銀行、信用金庫と飛ぶように部数は伸び、業績は倍々ゲームで伸びて行った。

【ビル建設】

破竹の進撃が始まり、丸4年が経過。念願の社有の土地を西鉄より払い下げを受け購入。小倉砂津の間借りで出発した東京経済が本社ビルを建てた。この話はすぐに地元の小倉だけでなく、福岡市の取引先まで知れ渡り、竣工披露パーティーには博多からも多くの会員様がお祝いに駆け付けてくれた。その5年後には福岡市薬院に第二東経ビル(6階建て)を新築。その2年後には広島に第三東経ビル(5階建て)を新築した。その当時、スバル360軽自動車(通称テントウムシ)に乗り、博多まで国道三号線を汗びっしょりになって営業に駆けずり回っていたのである。

【全国制覇へ】

創業10年にして全九州に支店・支社・支所を開設。1972年(昭和47年)には悲願の東京進出を果たすことになる。創業者故越智重雄は、東京の銀座にこだわり続けた男であった。裏通りでもいい、銀座にオフィスを構えたい。東京支社の業容拡大で3回移転したが常に銀座にこだわった。そして念願の東京支社社屋を2003年(平成15年)に購入したのである。ただこのビルは銀座ではなく築地本願寺横のビルであるが、東京支社の社員はこれはいつの日か銀座に東京経済のビルを建てるまでの仮事務所と心に誓い、現在、社員一丸となって奮闘中である。その間、熊本インター横の第五東経ビル、大阪支社が入る第七東経ビルを購入。現本社ビルも新築6階建てに建て替えた。本年、日赤通りに8階建てのビルを購入し6月に福岡支社は転居、業務に励んでいる。

【IT化】

わが国の経済、とりわけ企業社会において何が変化したか? それはIT化である。三代目社長越智英雄がこれからの情報化社会においてコンピュータは不可欠なものと位置づけ、役員にIBM社のノートパソコンを15台購入。いきなり来月までに練習をして報告はすべてインターネットで報告書を送るように指示。経営幹部は必死で取り組み、一人の落伍者も出さず、パソコンを使いこなすようになる。その後の3年間で全社員にパソコンを導入。情報のデータベース化、調査レポートのデジタル化、社員間での情報共有のためのグループウエアの導入と、東経IT化戦略構想は今年で12年目を迎え大きく花開いている。IT化戦略会議に亡き創業者が出席し、目を細めて外部講師の話を聞き、社長が打ち出す方針に、もろ手を挙げて賛同した日を昨日のように思い出す。

【100年に向けて】

創立50周年は東経マンにとってただの通過点。前を見ておごらず、あせらず、常に情熱をもって業務に取り組んでいく。50年前の、「金もない、人もいない、あったのは熱く燃えたぎる情熱だけであった。寝る間も惜しい。仕事がとにかく楽しかった」この創業者の熱き思いを胸に秘め100年の節目に向かって一歩一歩、歩んで行く。それが東経マン。今は亡き物故者、大先輩たちの熱き思いを受け継いで今日も道なき道を進むのが東経マン。おいしい水が飲める喜び、この水はなぜ飲めるのか、誰がこの井戸を掘ったのかを東経マンは決して忘れることはない。 最後になりましたが、東経マンは一丸となって会員各社様のお役立ち、これに邁進してまいります。これからも変わらぬご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。(感謝)

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